逆境と順境の偏見


昨年から、相次いでフィギュアスケーターの怪我がツイッター上でも流れてくる。

なぜか男子選手の報道が多い気がするが、女子選手だってけがはしている。

スケートに限らず、スポーツ選手の怪我のマスコミ報道というのは、必ずしも正確ではない。

そこには「聞いた話」が多く、また、全治も完治もごっちゃになっての報道。

選手本人からは「もう無理です」「選手生命が断たれました」といったネガティブな発言はメディアに載ってきません。そういう話は、大概が復帰して、のちの話としてでてくるくらいです。

でも、現場は違います。

選手が「心折れる瞬間」というのに立ち会うことはよくあります。ネガティブな発言だって聞かれます。

泣きながらリハをやる子だっています。なんとなくリハをやっている子だっています。ふてくされている子だっています。

それでも言わなくてはいけないことは告げます。現実というか現状を知らないとそこからどうしようもないからです。

とかく人は「逆境」というのにとらわれやすいし、そこにストーリーを求めてしまう。

逆境はたしかに尊いものではあるけど、これがないとスポーツ選手は一流になれないとか、人間になれない的な思い込みは偏見とも思える。

逆境の反対語としてあるのが「順境」

万事がぐあいよく運んでいるような境遇のことを言うのですが、選手であれば、しっかりと自分の身体やこころを理解して、けがしないように準備をし、けががおきることも想定して動く。

ひとつずつを積み重ねて結果につなげる。

それがあまりにとんとんと進むと、まわりからは“苦労していない”とか“努力していない”という風に映ってしまうことがある。正しい努力をしていても。

新聞や雑誌の記事はどちらかというと【逆境】を伝えたがる。そしてそこから這い上がってくる姿に美談を重ねる。

でも、多くの選手は順境を目指していろいろやっている。

 

私自身はたくさんの本を読みます。

偶然、最近読んでいる本の中に同じことを見つけました。。。。というより、私より完結にまとめられています(笑)

松下幸之助さんのコラムを集めた本なのですが、その中でも

“逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬこと”

という一節がある。

素直さと謙虚の心を忘れぬことまでは私も考えていなかったのでちょっと反省です。

素直さを失ったとき逆境は卑屈を生むし、順境は自惚れを生むとも松下氏は言っています。

どちらの境遇においても素直さをもって与えられた運命ととって素直に伸びていけば、道は異なっても同じ強さと正しさと聡明さを持つと。

報道はできればその両方を取り上げてくれるといいなぁと思う。

でも、それは皆の関心をひくものではないかもしれないのも事実。

だから、選手一人ひとりには、順境であれ、逆境であれ、とらわれることなく、甘えることなくその境涯を進んでほしいと思います。

どちらの境涯の選手にもちゃんとストーリーはありますよ。正しい努力をしているところを観てほしい。

 

 

【診療】

練習中のけが(ひねった、ぶつけた、こけた等による痛みなど)

保険診療

氷が押せない、姿勢が良くないなどの長期にわたる痛み、原因のわからない痛みや違和感

あおいラボ(赤)

 

【トレーニング】

けがをしないベーシックトレーニングや、さらにバランスシューズトレーニングや筋力をアップさせたい、俊敏な動きを獲得したい、フリーを滑り切る体力をつけたいなど。

トレーニング)

 

姿勢調整、トリートメント、トレーニング全てを短時間(1時間)で完結したい。大会中のコンディショニングを行いたい (裏メニュー)

コンディショニング

 

柔軟性を獲得したい

柔軟クラス