「浅田真央ちゃんに会ったことありますか?」
これは、フィギュアスケートを診ている院ということを告げると必ず聞かれる質問。
彼女は小学校6年生で特例で全日本にでていますが、それが2002年。
葵接骨院が開業したのもその年で、その頃はまだ私はフィギュアスケート選手をメインでは診ていませんでした。
2006年あたりから院ではスケーターが増えてきて私も大会へと足を運ぶようになりましたが、すでに真央ちゃんは、地方大会は免除だったので地元の大会でお見かけすることもなかったのです。
全日本も観に行っていますが、日程などの関係で結局、引退まで一度も大会での生の真央さんの演技はみることができませんでした。
つまり彼女は私にとっても最初から間違いなく画面越しにみるスター選手だったのです。
そんな彼女の軌跡をみることができる「浅田真央展」が名古屋でも開催されているので、お昼休みを利用して行ってきました。平日の昼間でも、かなりの人が来られていました。
子どもの頃に来ていた衣装も展示されているのですが、
何がすごいって、どれをみても全て知っている衣装だということ。
ショーで着ていたものでさえ、雑誌などを通して知っていたり、
中には、衣装だけで、プログラム曲がわかるだけでなく、あーあんなことあったなぁって場面が浮かぶことも。
彼女の軌跡を映像でも流しているのですが、やはりみなさん思うところがあって、胸が熱くなって涙している方もかなりいましたね。
映像の中で、彼女は、「自分のスケートはジャンプ、ジャンプばかりだったのが、変わったのが休養後だった」と。
スケートは、ジャンプに目が行きがちですが、表現力の部分や、滑りの部分、そういうのを見直して成長できたかなぁって思えたということをおっしゃられていたのがとても印象的。
浅田選手は、身長が伸びるタイミングが少し遅かったこともあり、それがまた研究材料の一つにもなっています。
葵でみている選手でも、身長が伸びるタイミングで身体の操作性が悪くなるという時期をよくみかけます。
今では“クラムジー”という言葉で説明される事象ですが、
この時期をどう過ごすかでその後の選手としての伸びも変わってくるので、非常に治療家としては悩ましくもあり、また理解を得てもらう努力を強いられることも多々あります。
浅田選手も、けが一つなく引退を迎えたわけでなく、途中で痛みがでていることなどは報道からも、また風の噂からも伝わってきていました。
華やかな衣装のむこうにある物語を想像すると、見ているこちらもなんだか感慨深いところがでてきてしまいます。
たぶん、それは、私自身が日頃多くのスケーターをみているから、彼女の衣装に照らし合わせるかのようにいろいろな選手のことを思い浮かべてしまうからだと思うのです。
彼女のような国民的なスターにみんながなるわけではないのですが、選手一人ひとりにちがったストーリーがあるので、そこにできる限り寄り添っていきたいなぁって思いながら院に戻ってきました。
まずは、今年も選手の悩みを解決するためのバックアップセミナーを開催します。
今年は、ウォーミングアップの作り方とフロアバレエです。
私自身は、スケートを教えることはできませんが、スケートのコーチが求めるところにつながるものを提供していっています。スケートの楽しさや厳しさを教えるのはスケートの先生でいいのです。
多くの選手の身体をみてきたからこそわかること。
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